スリランカの世界文化遺産
聖地アヌダーラプラ
スリランカの王朝は、紀元前3世紀に成立したシンハラ王朝が、1815年イギリスに滅ぼされるまで2300年スリランカを統治しました。シンハラ王朝が最初に都をおいたのが、アヌラーダプラです。同じ時代インドより仏教が伝播され、シンハラ王朝は滅亡まで仏教を国教としてきました。アヌラーダプラには、お釈迦様悟りの地ブダガヤより株分けされた菩提樹の聖木“スリマハ菩提樹”をはじめ多くの仏教遺跡が残ります。
スリマハ菩提樹
イスルムニヤ精舎
ルワンウェリ・サーヤ大塔
古代都市ポロンアルワ
1017年南インドのパーラ王朝がスリランカに攻め込みます。激しい戦いの末シンハラ王朝は、アヌラーダプラを追われ、内陸のポロンナルワに都を移しました。以降12世紀までこの地にシンハラ王朝の都がおかれました。歴代の王達は国土を豊かにするため、多くの溜池を造営し、今でもポロンアルワは水の豊かな場所です。また引き続き仏教は厚く信仰され、遺跡に残るガルヴィハーラの3体仏は、スリランカ仏像彫刻の最高傑作です。
ガルヴィハーラの涅槃仏
ワタダーゲ
アタターゲ
古代都市シギリヤ
スリランカのほぼ中央のジャングルの中に、巨大な一枚岩のシギリヤロックがあります。この高さ200メートルの岩山の上には477~495年に在位したカーシャパ王の宮殿がありました。カーシャパ王は、父ダートゥセーナ王の長男でしたが、母親の血統から皇位継承者は弟のモッガラーナにありました。カーシャパは王位に就くべく父親を殺害します。この暴挙に怒った弟の反撃を恐れ、自分を防御するため難攻不落のシギリヤロックの上に狂気の宮殿をおきました。
シギリヤロック空撮
シギリヤロック
シギリヤレディー
ダンブッラの黄金寺院
シギリヤロックからおよそ10Km。シギリヤロックより小さいながら小高い岩山があり、この岩のくぼむみに極彩色の壁画と仏像彫刻が残る、5つの石窟寺院があります。ここに仏教の営みが始まったのは、紀元前3世紀、スリランカに仏教が伝来したのと同じ時期、僧院が築かれた時の事でした。12世紀後半ニッサンカ・マッラ王が、赤や黄色の彩色を行い、現在の姿が完成します。ここは2300年間、上座部仏教で出家し、解脱をめざしひたすら修行をした僧侶達の祈りの場でした。
聖地キャンディー
13世紀に入り、シンハラ王朝は南インドのタミル系王朝の侵略をたびたび受けるようになり、ポロンアルワを放棄し都を転々とさせました。15世紀に入いっても王朝は不安定な状況にあり、1469年周りを山で囲まれた防御のしやすいキャンディに王朝最後の都をおきました。市内の仏歯寺にはお釈迦様の歯が収められ今日にいたります。仏歯はまさに王朝の象徴で、仏歯があるところが王朝の都でした。仏歯はスリランカ人・世界の仏教徒の宝です。
仏歯寺(対岸の丘より)
仏歯寺
ペラヘラ祭

ゴール古代都市とその要塞群
16世紀大航海時代をむかえヨーロッパ列強は、インドやスリランカを経由して東アジアへ進出しました。ポルトガル人はゴールに1598年砦を築き支配下におきます。1640年にオランダ東インド会社がポルトガルを破り、ゴール半島全体の要塞化し、世界遺産ゴール旧市街の原型をつくりあげました。その後、1796年イギリスがゴールを奪いイギリス支配時代をむかえます。こうした歴史が、ゴールをスリランカらしからぬ、エキゾチックな街並みに磨き上げました。

ゴール旧市街
オールセインツ教会

魚市場