ジェフリーバワ・作品のホテル

コロニアル調ホテル
スリランカは地政学的に海のシルクロードの要衝で、大航海時代以降ポルトガル・オランダ・イギリス等の覇権を争いの舞台でした。スリランカは東アジアの入口であり、スリランカでとれる香辛料はヨーロッパ人にとっては魅力的産物でした。イギリスによる植民地支配の時代は長く続き、この時代多くのコロニアル建造物(植民地時代宗主国の建築様式で建てられた建築様式)がつくられました。これらの中にはホテルに改装されたところもあります。スリランカが海洋国家だった事の産物です。コロニアルホテルには独特の風情があり、時が止たまるような空間に身をおくと、地理的な旅行のみならず、古き良き時代への時空を超えた旅の世界へ誘います。
マウント・ラビニア
地   名:コロンボ郊外
カテゴリー:デラックス
コロンボの南12㎞アラビア海に突き出た岩礁の上にたつコロニアルホテルがマウント・ラビニアです。マウント・ラビニアは1806年イギリス2代目植民地総督トーマス・メイランド卿の私邸として建設されたのに始まります。同総督は、地元ダンサーの娘と禁断の恋に落ち、そのロマンス物語の舞台としても知られています。1877年にホテルに改装され、伝統と気品を保ち、古き良き時代のノスタルジックな空間を今に伝えます。砂浜の海鮮料理レストラン“シーフードコーブ”は料理の味もさる事ながら、最高ロケーションのレストランです。波打ち際にテーブルをセットして、キャンドルライトでお食事を楽しむアレンジも可能です。
セント・アンドリュ-ス
地   名:ヌワラエリヤ
カテゴリー:デラックス
 標高1868mのヌワラエリヤはイギリス植民地時代、イギリス人の避暑地として栄え、西洋風の街並みが残るエキゾチックな街です。ヌワラリヤには何軒かの当時の建物を改装したコロニアルホテルがありますが、セント・アンドリュ-スもそのうちの1つです。そのルーツは1875年大英帝国国王がイギリス人の弁務官の保養所として洋館が建造されたのに始まります。その後1991年ドイツ人に売却され、セントアンドリュースホテルとして営業をはじめました。ヌワラエリヤは紅茶の産地としても知られ、エレガントな洋館で植民地弁務官になった気分で優雅なテータイムを過ごされるのはいかがでしょうか。
マハウリリーチ
地   名:キャンディー
カテゴリー:デラックス
 マハウエリリーチは厳密にいえば1970年代コロニアル風建築で建造された新しいホテルです。ただ、白を基調としたその建築様式はほんとうのコロニアルホテルと同格の風情があり、優雅な時代空間へといざないます。マハウエリの名は、ホテルの前を流れるマハウリ河の名からきています。ホテル1階は吹き抜けのエレガントなレストランになっており、マハウリ河からふくさわやかな風が、旅のつかれを癒します。
クィーンズ
地   名:キャンディー
カテゴリー:スタンダード
キャンディー仏歯寺から、キャンディー湖沿いに市内に通じる目抜き通りを進むと、威風堂々としたコロニアルホテル“クィーンズホテル”があります。クィーズの歴史は、シンハラ王朝系最後のキャンディー王国の王族邸宅として建造されたのに始まります。1815年イギリスがキャンディー王国を破り、この地を統治した際、弁務官公邸として接収され、1895年ホテルに改装されました。クィーンズホテルはその歴史の重みからスリランカで最も重厚感のあるコロニアルホテルかもしれません。一歩足を踏み入れると、時代をみつめてきたホテルの威厳を肌で感じます。
ホテルスイス
地   名:キャンディー
カテゴリー:スタンダード
キャンディー湖をはさみ、仏歯寺の対岸にある緑に囲まれた小高い丘の上にあるコロニアルホテルです。ホテルスイスの歴史は17世紀キャンディー王国の農業大臣の私邸として建造されました。キャンディー王国がイギリスとの闘いに敗れると同館も接収され、イギリス人将校の所有となりました。その後この建物は売りに出され、1924年スイス人女性ジャンヌルイザバーダロンによって買収され、ゲストハウスに改築されます。その時ホテルスイス名がつけられまし