お釈迦様聖地へのいざない

今から2,500年の昔、お釈迦様はインドの大地に降誕され、正覚を得、その御教えを人々に広められ、涅槃をむかえられました。19世紀以降考の発掘調査で、次々と仏伝に記されるお釈迦様の足跡が、考古学的的発見により立証されます。日本に仏教が伝来して間もなく1,500年、かつては如何様な高僧にとってもお釈迦様の国天竺は、想像の世界のみのものでした。今は、機会とご縁さえあれば、どなたでも訪れる事ができます。思いきってお釈迦様の国天竺にお越しいただくのはいかがですか。

  誕生の地 “ルンビニ”

お釈迦様は今からおよそ2,500年の昔、釈迦族の王子としてルンビニの地で降誕されました。ご誕生に際し、お釈迦様の母君マヤ夫人は天上界の満月から降下してきた6本の牙をもつ白象が、右脇腹から胎内に入る夢を見てご懐妊になられたと伝えられます。その後、マヤ婦人は当時のインドの習慣により、出産のための里帰りの途中、このルンビニの地で沐浴をされ、無憂樹に右手を触れられたとき、お釈迦様が誕生されました。幼少時代のお釈迦様は、シッダルタと名づけられ、何ひとつ不自由のない王子としての生活を送ります。19歳の時、スプラブッタの王女ヤショダラ姫と結婚されました。しかし、お釈迦様は宮廷内での華美な生活に満足する事はなく、29歳の時愛馬カンタカにまたがり出家をされ、第2の人生をむかえる事となりました。
今日のルンビニは世界遺産にも登録され、お釈迦様がまさにこの地でお産まれになった事を示すマーカーストーンと、マヤ婦人からお釈迦様がお生まれになるシーンのレリーフが納められるマヤ堂、アショカ王が仏教普及のため建立したアショカ王柱などが残ります。


成道の地 “ブッダガヤ”
覚りを求めて29歳でカピラ城を出家したシッダルタ王子(お悟りの前のお釈迦様)は、ブダガヤ郊外の前正覚山で、5年に及ぶ苦行を遂行されました。しかし、古代インドの宗教バラモン教修行者達が行う、苦行のための苦行は無意味である事を悟ります。ついには前正覚山を降り、スジャータの村で娘から乳粥の供養を受け、尼蓮禅河を渡り、菩提樹の木の下で覚りのための瞑想に入り、7日後成道の境地に達せられました。お釈迦様35歳の時でした。世界遺産にも登録された、人類にとって記念すべき聖地ブッダガヤには、高さ52メートルの大菩提寺が聳え、ここが偉大な聖地である事を直感させます。大菩提寺裏にお釈迦様真の成道の座“金剛宝座”と菩提樹の大木が残り、大菩提寺横の経行石は、悟りの境地を人々に伝え広げるか否かで迷われ、歩まれたお釈迦様の足跡に蓮華の花が開いた事から19の蓮華のレリーフが表現されたものです。お釈迦様に乳粥の供養をしたスジャータの村は、乾季で水の涸れた尼蓮禅河の東岸に所在し、今なお当時を偲ばせる生活が営まれています。


初展法輪の地 “サルナート”

 今から2,500年の昔、悟りをひらかれたお釈迦様は、その偉大なる境地を人々に広めるかどうか、広めたとして人々に理解されるかどうか、迷われました。その問題解決のため1週間の断食に入られ、説法伝導を決意されました。はたして誰に最初に布教するか、最初に思いついたのがかつて王舎城(ラジギール)で出会った、禅の師匠アーラダ仙とルドラカ仙でした。しかしこの2人はすでにこの世の人ではありませんでした。その次に、お釈迦様は有縁の修行者達(五比丘)を想起されました。お悟りの前のお釈迦様は、長い間五比丘と苦行をともにしましたが、苦行のための苦行には意味がない事に悟られ、苦行を捨ててしまいます。この姿を見た五比丘は失望し、カーシ国(現在のベナレス)のサルナートに移っていました。サルナートに現れたる釈迦様を、五比丘達は無視しようと打ち合わせていましたが、そのあまりに輝くお姿に圧倒され、お釈迦様の最初の説法(初転法輪)を授かりました。ここに人類史上初めて仏教の教えが説かれた事になります。崇高なお釈迦様の説法に鹿までもが耳を傾けた事から、この地を『鹿野苑』ともいいます。

 


涅槃の地 “クシナガラ”

 サルナートでの初転法輪の後、お釈迦様はラジギールと祇園精舎を拠点にされて、世に仏法をお広めになりました。お釈迦様が自身の涅槃(死)を直感されたのは、涅槃の3ヶ月前ラジギール滞在中の事でした。故郷のカピラ城を目指し、最後の遊行に出発されます。途中、クシナガラ近くでチュンダという鍛冶屋に食事の供養を受けたところ、突然激しい腹痛に見舞われ、アーナンダに『2本の沙羅の木の間に頭を北にして床を敷いてほしい。私は疲れた、横になりたい』とお告げになられます。アーナンダは直ちに床を作りお釈迦様を休ませました。その後、『限りある時間を大切にして修行に励め、法をよりどころにせよ……』と悟し、静かに別れを告げられました。その時、時ならぬ沙羅の大輪が咲いたと伝えられます。お釈迦様80歳の時でした。
お釈迦様涅槃の地クシナガラには、巨大な涅槃像が安置され、仏教徒の読経の声が途切れる事のない大涅槃寺と、最後の説法の地、お釈迦様が荼毘に付された荼毘塚が、ひっそりとしたたたづまいの中にあります。


  酔象調伏の地(釈尊冬の塔留地)“ラジギール

 パトナの南東100キロ、ブダガヤの北東80キロ、原生林に覆われた5つの山に囲まれた盆地の中に、聖地ラジギールは位置します。今から2,500年の昔、お釈迦様と同じ時代ラジギールにはマガダ国の首都“王舎城”がありました。マガダ国は当時としては先進的であった製鉄産業と、豊かな農業生産により、繁栄を極めました。マガダ国の王ビンビサーラは、お釈迦様に深く帰依され、布教活動の保護をされます。ビンビサーラ王によりお釈迦様に寄進された仏教史上最古の寺院が、ラジギール市内の竹林精舎です。ビンビサーラ王は、王子アジャセ王の出生の秘密の発覚により、王子により牢獄に幽閉され殺害されました。その際、ビンビサーラ王の后イダイケ夫人に説かれたのが観無量寿経です。ビンビサーラ王の牢獄を見下ろす霊鷲山は、お釈迦様が冬の間に止住説法された場所で、法華経をはじめ大無量寿経、般若経など説かれました。玄奘三蔵の天竺への旅の目的地ナーランダ大学跡はラジギールの北16キロにあります。



  釈尊夏の逗留地 “祇園精舎”

 お釈迦様の時代、コーサラ国にスダッタ(須達多)という、孤独な者・貧しい者に慈善を施す豪商がいました。ある時、スダッタが商用でラジギールを訪問した際、お釈迦様と出会いました。それ以来お釈迦様に深く帰依し、コーサラ国にお釈迦様を招待しようと決意します。しかし、コーサラ国には、ラジギールの竹林精舎のような立派なお釈迦様をお迎える場所がありません。唯一プラセナジト王の王子(祇陀太子)が所有するマンゴ園があり、この土地を買収するようスダッタは交渉を重ねますが、意地悪をして譲ろうとはしません。王子は土地に黄金を敷き詰めたなら、その分だけ土地を譲ろうと言いだしました。これを受けスダッタは、ほんとうに牛車で黄金を運び込み、樹園に黄金を敷き詰めました。こうして買収した土地に建設されたのが祇園精舎です。祇園精舎はお釈迦様の夏の逗留地となりました。
祇園精舎に隣接する舎衛城は、プラセナジト王が治めたコーサラ国の都跡で、外道であるジャイナ教の修行者とお釈迦様が神通力を競った、舎衛城の奇跡の舞台です。

 




猿王奉蜜の地 “バイシャリ”

 バイシャリは、猿王がマンゴの木から蜜を集め、お釈迦様に奉納した“猿王奉蜜”の舞台です。バイシャリは第二結集の地でもあります。お釈迦様涅槃の後、その教えは口頭で伝えられました。口頭伝承では、その教えに歪が生じる恐れがあったため、ラジギールでの第一結集(BC477年)、バイシャリでの第二結集(BC377年)、パトナでの第三結集(BC244年)を経て、お釈迦様の教えが集大成されました。
また、バイシャリはリッチャビ族の故郷でもあります。クシナガラにて8つに分骨され、リッチャビ族が持ち帰った舎利が納められるリリック・ストゥーパ等、多くの遺跡が残ります。
バイシャリの南80キロに位置するパトナには、マウリヤ王朝の都パータリプトラが置かれました。マウリヤ王朝3代目のアショカ王は、カリンガーの戦いで戦争の無常さを悟り、仏教を保護し社会福祉の充実に尽力した名君として知られます。アショカ王が中心になって行われた第三結集は、パトナ市内のクムラハール(鶏園寺)で行われました。

 

 




  三道宝階の地 “サンカシャ”

 マヤ婦人は、お釈迦様の誕生1週間後にこの世を去られ、お釈迦様はマヤ婦人の妹であるマハプラジャーパティーにより養育されました。ブダガヤでお悟りを得たお釈迦様は、母君マヤ婦人に法を説く事を念願され、ある時祇園精舎の香室より昇天され、3ケ月間説法教化され報恩を果たされました。その後、再び地上界に降下された場所が三道宝階の地サンカシャです。その際、3つの階段が天上界から築かれ、中央の黄金の階段からお釈迦様が、右側の白金の階段から払子を手にした梵天(ブラフマー神)が、左側の瑠璃の階段からお釈迦様に天蓋を翳した帝釈天(インドラ神)が降下されました。
今日のサンカシャには、アショカ王が仏教布教のため建立したアショカ王柱(柱頭部に象の彫刻が残ります)と、未発掘のストゥーパが残ります。他の聖地から地理的に外れ、交通の便も良くないので訪れる巡礼者も少なく、八大仏跡の中で最も素朴なたたずまいの中サンカシャはあります。


 仏跡地の当社直営ホテル

ロイヤルレジデンシー

  (ブッダガヤ)

開   業|2002年
客 室 数|64部屋
レストラン|1か所(インド料理・中華・洋食)
Wi-Fi設備 |全室完備・無料
ガヤ空港とブッダガヤ聖地を結ぶ幹線道路沿いに位置する、白を基調としたモダンな3階建て、ブダガヤで最も設備の整うホテルの一つです。各部屋ともバスタブ付きで、床面積37㎡と部屋の広さも十分です。日本の仏跡団体旅行では、多くのお客様に当館をご利用をいただいております。その他タイ仏跡巡拝の団体や、最近では欧米のお客様のご利用も多くなっています。お食事は、日本人の好みを優先して、インド料理・中華・洋食をブュッフェ(バイキング)スタイルで準備しております。当館裏には有機農法農園があり、一部食材はこの農園で栽培された野菜を提供いたしております。
当館の所在するビハール州は、州内全てが州法で禁酒のため酒類の提供はありません。

 

 


 

 インド法華ホテル

  (ラジギール)

開   業|1984年
客 室 数|44部屋
レストラン|1か所(日本食・インド料理・中華)
Wi-Fi設備 |全室完備・無料
当館は、1984年エア・インディアと法華クラブが共同で、日本人のインド仏跡参拝お客様のため、セントール法華ホテルの名称で開業されました。その後、法華クラブが会社更生法の適用を受けた際、当社がマーネジメントを引き受ける事になりました。全館が煉瓦造りなのは、仏跡地を構成する史跡が煉瓦造りなので、その文化的要素を継承したものです。2008年には新館を増築し、繁忙期でも多くのお客様の需要にお応えできるようにさせていただきました。館内には仏殿があり、朝・夕のお勤や瞑想にお使いいただいております。お食事は、朝・昼・夕の3食を日本食で提供させていただいております。
当館の所在するビハール州は、州内全てが州法で禁酒のため酒類の提供はありません。

 

 


 

 

 

 

ロイヤルレジデンシー

 (クシナガラ)

開   業|2000年
客 室 数|45部屋
レストラン|1か所(インド料理・中華・洋食)
Wi-Fi設備 |全室完備・無料
2000年当社直営の新築の仏跡地ホテルとしては、最初に開業したホテルです。大菩提寺や荼毘塚、最後の説法の地まで徒歩圏の、閑静な聖地の中に立地します。5エーカーの広大な敷地を有し、白を基調としたエレガントな一部2階建ての建物に45部屋の客室があります。お食事は、インド料理・中華・洋食を提供しており、名物の炊き込み鍋は、野菜の旨味がきいたスープで当館の名物メニューとなっています。

 


 

ロイヤルレジデンシー

  (サンカシャ)

開   業|2011年
客 室 数|20部屋
レストラン|1か所(インド料理・中華)
Wi-Fi設備 |設備はありません
以前は宿泊施設はおろか、外国人の利用しうるレストランすらなかったサンカシャですが、2011年に当館が開業し、交通の便のよくないサンカシャに宿泊し、八大仏跡満願の日程を組む事ができるようになりました。当館敷地内には、サンカシャ奉参会様が、他の聖地に比べ祈りの場が少ないサンカシャに、寺院を奉納しようと発願され建立された日本のお寺があります。サンカシャご参拝の際は是非このお寺もご参拝ください。